大阪四季劇場こけら落とし公演『マンマ・ミーア!』を観劇してきた。

この劇場の音響効果の素晴らしさにまず驚かされてしまった。
録音なのにまるで生オーケストラがやっているかのような迫力を感じていた。

一応はセンターの席だったけど、どうしてなのか前の人の頭が私の目に入ってきて舞台に集中できなかったのは残念だったね。
客席自体はすごくゆったりしてるのに、こんなに前の人を意識して舞台を観劇したのは初めてのことだった。

作品はやはり四季の舞台らしくアピールしてくるものだった。

今回私が何回もアピールに感じたのは「人生に妥協してはいけない、でも妥協して失敗しても信じるものを持てればきっとその失敗も乗り切れるし、必ず幸せは訪れるよ」だったね。

フィナーレが素敵で出演者のお辞儀が終わると、中年の仲良し3人組が衣装を派手なものに変えてきて、「さあ、私たちと一緒にハッピーな気分になろうよ!!」と別に台詞で言っているわけではないけれど、そういうのをドンドン客席に向かってアピールしてくる。
お客さんも自然と雰囲気で立ち上がりだし、お客さんが立ち上がると今度は、「さあ、私たちと一緒に唄って踊ろうよ!!」とアピールしているように感じ、後ろに座っていたお客さんも前の通路に出てきて両手を挙げて踊りだしてしまっていた。

その中に私も居たのだけど、心はココには無いことを感じていた。

確かにハッピーな気分になって出演者とこの空間を共有しているのは感じるけど、いつも感じる出演者との一体感を感じていない自分に気が付いた。

帰り道道、ずーーっと「何がこんな気分にさせているのか?」と考えていたんだけど<妥協>の意味を考えている自分に気が付いた。

舞台を観て感じるアピールは、人によってかなりの違いはあると思う。

今回私が感じたアピールで「人生に妥協してはいけない」というのが、私の頭の中をずーーっと回っていた。

私は、若い10代後半から20代前半の人生の分岐点でいつも妥協して生きていた。
親の意見を尊重し、大学進学もあきらめ結婚するときも親の意見を尊重し妥協してきていた。
私は妥協するということは、相手に思いやりの心があるからこそできるのであって、いけないとは思わなかったし思えなかった。

でも家に帰ってきてある人にこのことを言ったら「それは妥協ではなくガマンしていたのでは?」と言われた。

<妥協>は、お互いの意見を出し合ってそこで激論しながら全部相手の言うままにはならず、半分半分のところで折り合いをつけるのを<妥協>というのであって、あなたのは自分の意見を言わずに相手の意見に全部従っている、それは<妥協>ではなく<ガマン>なんだとね。

確かに私は小さい頃から我慢強かったけど、人生の分岐点までガマンしていたのだろうか?とね。

確かに自分の意見を相手には言わなかったし、言えなかった。
その頃の私は自分の意見を出すことは、わがままなんだと思っていた。

でも今は違う。

自分の意見をどんどん出して主張するようになってきているけど、これは相手に思いやりの心が無くなったわけでもないし、わがままを言ってるわけでもないと思う。

ということは、若い頃の私は<妥協>の意味を誤解していたということだったんだと。

昨日からこの<妥協>のことで頭の中がいっぱいで考えてばかりいる。

<妥協>と<ガマン>、これは私の人生で考え続けていくテーマになるかもしれない。

解答を出そうとアセッてもいけないし、じっくり時間をかけて考えていこうね、私の心君。 (^o^)/ ハーイ

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

最新のコメント

この日記について

日記内を検索